Mnemosyne-Atlas

久方振りの駒場。何故かArmaniのスーツを着て。


目的はこれでござった。ああもうこの夥しい感が堪らない。Aby Warburgの著作集別巻1「ムネモシュネ・アトラス」の発刊を記念してのシンポジウムの開催に伴って田中純先生の講演が行われ、それを聴いてきたのでした。しかし一冊24000円するのよね、あれ。講演前に駒場生協書籍部の店長さんに聞いたら「一冊売れたかなあ」と仰ってました。お膝元ですらそんなもんです。私? 勿論持ってませんよ。そのうち買うとは思いますけど。それより何すかこの結界はっつー話ですが、これはヴァールブルク自身の手による

を再現したものらしく、今回の為にわざわざ作ったそうです(助手の方が。)

他のシンポジウム参加者は件の著作の共著者でもある伊藤博明氏に加藤哲弘氏、

コメンテーターに見るからに東浩紀な系統の足達薫氏、
上村清雄氏
木村三郎氏
といった美術史家の御三方、に

三中信宏氏
という統計が専門、及び生物学史家な方の組み合わせ。

美術史家はともかく何故に統計の専門家がここにいらっしゃるので? といいますと、ヴァールブルクは絵画をテーマ毎に分類を行っていたのですね。でそれをクラスター分析しちゃったらどうなんの、的な解説の為に三中氏は呼ばれたようです。またヴァールブルクは現在では忘れ去られた生物学者、Richard Semonの理論を自身の著作の中に引用しちゃったりしていらっしゃるので、そんなんファッショナブル・ナンセンスや的なコメントを専門家の視点から語っていただくという、そのような役回りのようで。まあこれに関してはヴァールブルクが悪いというわけでもないようですけども。その時代には最先端だったわけですし。

正直、この日は三中氏のコメントが一番有用だったような気がしないでもないです。やはり自然科学は偉大でありますな。人文科学側もメディアとしてのタピスリーの話とか、足立氏はGiulio Camillo「劇場のイデア」の翻訳者でもあるので「記憶術」というタームが幾度も出てきたり、André Malrauxの空想の美術館の概念とヴァールブルクのAtlasの比較がなされたりといった議論がそれなりに面白くはあったのですが。マルローの方は作品の均質化が行われるのに対しヴァールブルクはそうではないので基本的には別物、といった結論だったかな。あと勿論、PanofskyやC.S.Peirceに先程の生物学の話と絡めてDawkinsの名前もちらっとですが出ましたし。

一つ個人的に述べておくと、モノクロ化は図像の幽霊化(弱める行為)であるというのは明らかにモノクロ写真を「読めない」人間の議論だと思うけどな。森山大道とか、Avedonの写真とかを見れば、ね。んー、贅沢な面子だとは思うんだけど、認知科学系の研究者が居ればもっと面白い議論になったような気もします。とはいえ、このようなとんでもない書籍を今の時代に出そうなどというのは、本当に心から素晴らしいことでございます。

それにしてもヴァールブルクの現代性、どんなもんですかねえ。先日は全集を読んでいたらその表紙を見掛けた学生の男に「街でキリスト教の聖書売ってる人ですか?」って言われましてよ。本当、とほほですよ。ちなみに、今回の参加者は150名ばかりだったそうな。

The Warburg Institute

ジュリオ・カミッロ『劇場のイデア』:翻訳と註釈

Richard Dawkins Foundation for Reason and Science

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